坂口芳貞さん
かつての各局洋画劇場の配役には局ごとにそれぞれ個性がありテレ朝「日曜洋画劇場」は開始以来(開始当時は「土曜映画劇場」)伝統的に新劇畑の方を好む傾向があった。登板の多かった坂口芳貞さんは文学座のご出身。いわゆる「重たい声」で威厳のある役や中年以上の黒人俳優の担当が多かったが、中でもモーガン・フリーマンは氏の持ち役の代表格で、多くの作品を担当された。
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かつての各局洋画劇場の配役には局ごとにそれぞれ個性がありテレ朝「日曜洋画劇場」は開始以来(開始当時は「土曜映画劇場」)伝統的に新劇畑の方を好む傾向があった。登板の多かった坂口芳貞さんは文学座のご出身。いわゆる「重たい声」で威厳のある役や中年以上の黒人俳優の担当が多かったが、中でもモーガン・フリーマンは氏の持ち役の代表格で、多くの作品を担当された。
亡くなったカーク・ダグラスはその多くを故 宮部昭夫さんが吹き替えています。
映画秘宝に続きテレビブロス休刊の報(既に番組欄のないテレビ誌という不思議なスタンスになっており、今後もWEB版は出るらしいですが)。
ときどき「理数系ギャグ」という言葉で紹介されることがあるが、これは自分で名乗ったわけではない。メディアで初めて拙作をこの言葉で呼んだのはまついなつきである。
宍戸錠さんは一挙手一投足が絵になる本当にかっこいい映画スターだった。子供の頃、生まれ育った田舎では日活と東宝作品をかける小屋が同じで、自分は特撮作品やクレージーを、父親は日活……というか主に吉永小百合が目当てで通っていたのだが、むりやりその2社混在のプログラムで見ることができたのは今から思えば贅沢だったかもしれない(その小屋は小4の時に火事で全焼してしまった)。その後の色々な錠さんを見る前にとりあえず日活が初体験だったというのも、よかった。
ヤマザキマリさんとの合作『プリニウス』も連載6年目に突入しました。今年も、そして今後とも、この作品をどうぞよろしくお願い致します。
本日は新宿文化センターの山下洋輔トリオ50周年記念コンサートに。濃密な3時間でした。会場には古い知り合いがあちこちに。
昨日12月14日は世田谷文学館「小松左京展—D計画—」の連動企画で「誰も語らなかった小松左京」と題したヤマザキマリさんとのトークイベント。ご来場いただいた皆様、どうもありがとうございました(終了後早々に隔離されましたので個々のご挨拶がかなわなかった方々、失礼致しました)。
夜中に作画参考のための自撮り(マンガ家はけっこう皆やっていると思う)。手だけ確認したかったのだが、ついつい顔も作ってしまう。