プリニウス第53回「ドクニンジン」

2018年09月18日

『プリニウス』第53回掲載の「新潮45」10月号は本日発売です。雑誌は杉田某の擁護特集で炎上しておりますが、炎上するのも無理はない。当該記事には一切共感できない。

とばっちりがこっちにも飛んできているが、しかし雑誌は色んな立場や主義主張考えの異なる者が書いているからこそ「雑誌」。同じ雑誌に描いているからといって「ひとかたまりの集合概念で同一視して個を見ない」のは、それこそああいう連中と同じ過ちのような気がする。

僕は現在の編集方針に大いに疑問を持っているが、そもそも編集方針や他の記事、他の掲載作品を支持しなければ描いてはいけないというのなら、マンガ雑誌も含めたたいていの雑誌、たいていの出版社は自分にとってNGということになってしまう。現に特集記事ではこういう論調のものが続いている「新潮45」だが、連載陣や常連執筆者には特集や現政権に批判的な書き手も複数いる(むしろ比率的には多いくらいで、そこがこの雑誌のなんとも不思議なところだ)。

とはいえ、こちらもどこでもいいと思ってこの場所を選んだわけではない。やや特殊なこの作品の執筆を第一に考えたとき、他社では実現不可能な専門的な校閲と取材、かつ内容と表現は作者の意向を尊重し一切編集主導的な干渉がない点を作者二人は評価し、決定したのだ。

再度書いておくが、個人的には以前の特集も今回の擁護特集もまったく支持できないし、我々の作品を読もうと思って当該記事が眼に触れ心を痛めた友人達には申し訳ない想いがある。

同時にそれを理由にこちらのマンガにまで批判をふっかけてくる人(特集と同一視する人、特集を憂えて雑誌から撤退してくれといってくる人、逆に特集を批判することに怒る人……等々立場は様々だが)にも「ちょっと待て」と。あとから来たあんなクソ記事のせいで、なんでずっと描いてきたこっちが出ていかなくちゃならんのだ、とも思うわけです。出ることで、雑誌をより同じ色に染める方向に協力したくもありません。

というわけで、騒ぎをよそにマンガは粛々と続きます。今回はローマではポッパエアの死と大々的な葬儀、アレクサンドリアでは当時の驚くべきテクノロジーを描きます。

懐妊中のポッパエアの死の真相については様々な説があります。ネロに蹴り殺されたとか、毒殺されたがその真犯人はネロだった、という説もある一方で、ネロは愛妻家であり、彼女の死は事故死に近かった旨の説をとる歴史家もいます。葬儀は盛大に行われ、その遺体は当時の慣習だった火葬にはされず、防腐処理を施されてアウグストゥス廟に埋葬されたと伝えられています。ヤマザキさん描く臨終の表情に、これまでの彼女の色んなシーンがフラッシュバック。

かたやアレクサンドリアでは神殿の自動ドアや、聖水の自動販売機に一行が驚きます。これらは前々回に登場した「アイオロスの球」同様、水や蒸気の御者であったアレクサンドリアの工学者・ヘロンの発明といわれています。

ヘロンについては昔『とり・みきの大雑貨事典』所収の「自動販売機」というエッセイに書いたことがあったのですが、そのときはまさかこの時代のマンガを描くことになるとは思わなかった。長いスパンの意図せぬ予告篇。

ちなみに神殿に鎮座しているのはエジプトとギリシアの習合神であるセラピス神です。