日本沈没(73年版)

2024年12月18日

東宝の1973年版『日本沈没』は年末の公開で、実質74年のお正月映画だった。

それに加えて、その10年後くらいに、高かったビデオソフト(とくに東宝は高かった)を、当時の下北沢の我が部屋で大晦日に泊まりがけでやってきたサンデーデビュー前のゆうきまさみさんと、明けて元日に炬燵で一緒に鑑賞した想い出があり、自分の中ではより強く「正月」と紐付けられているのだった。

1984年正月のとりとゆうき氏
1984年正月のとりとゆうき氏

この映画の公開前にはTVCMとのタイアップで、ビル倒壊や津波、総理の「門を開けてください」などのシーンがスポット的に流れていたのも印象に残っている。数年後の角川映画のように自社スポットではないが、けっこう画期的だったような気がする……あ、その前には『黒部の太陽』『赤毛』『風林火山』のアリナミンA(三船敏郎がCMに起用されていた)とのタイアップがあったな。いずれにしろそのCMのシーンの出来の良さに私の観たい気持ちはどんどん高まっていった。当時の邦画界は斜陽産業化していて、幼いころに胸ときめいた東宝特撮作品のクオリティも落ちかかっていたような状況だったから。そして何より小松左京の原作を先に読み、そのスケールと科学考証に圧倒されていたから。

ところで、私はこの映画のセリフをほとんど暗誦できる。私だけでなく同様のファンも多い。それはもちろん劇場での刷り込みもあるけれども、キネマ旬報が73年12月下旬号の特集でシナリオを一挙掲載したことが大きい。公開直前に全シナリオが載るというのはネタバレもいいとこで今では考えられないが、同年代の読者ならよくご存じのように、当時のキネ旬ではむしろそれがウリというか別段珍しいことではなかった。私はそのシナリオを発売と同時に読んでますます期待に胸を膨らませた。

こうして私は色んなシーン、すべてのセリフを頭にたたき込んだ上で、熊本市内のアーケード街にある熊本東宝に赴いたのである。お正月休み中の館内は立ち見客が出るくらい満杯だった。そしてすべてのセリフを知っている映画は、ところどころツッコミ所はあるものの、期待にたがわず面白かった。東京大地震のシーンでは館内に緊張が走り、のちに有名になったセリフ「何もせんほうがええ」では大声で笑い(失笑?)が起きるなど客の反応もよかった。

ヒットに気をよくした東宝はその後何年かにわたって「怪獣の出ない」特撮大作作品を公開するが、いずれも「沈没」程の満足感は得られなかった。なんというかこの映画には大人の鑑賞にも耐えうるある種の「格」みたいなものがあったのだ。って私はまだ高校生でしたけどね。

いまマーケットプレイスを覗いたら、キネ旬のその号には¥21,090の値段がつけられていた。