村上知彦さん

2024年12月22日

村上知彦さんが亡くなられた。

同時代論的な批評スタイルは後進から批判されることもあったが、私にとってはマンガ論をより身近にして等身大で語ってくれたくれた「お兄さん」という立場の方だった。

最初にお目にかかったのは村上さんが「漫金超」を作っていた時代で、平口広美さんや宮西圭三さんのファンの集まりに田北鑑生さんと一緒に出かけたときだった(当時の「漫金超」の編集後記にそのときの写真が載っている)。

いちばん後ろが村上さん、左端が宮西圭三さん、正面が平口広美さん、その右が田北さん
いちばん後ろが村上さん、左端が宮西圭三さん、正面が平口広美さん、その右が田北さん

そのときはこちらもマンガ家デビューはしていたものの、まだペーペーで、たぶん村上さんも何者だかよくご存じなかったと思う。何年か経って、ある出版社のパーティで久方ぶりにお目にかかり「憶えてらっしゃらないかな」と思っていたら向こうから近づいてきて、こちらが「ニュータイプ」誌に掲載した手塚治虫とギャグマンガ進化論みたいな文章の視点をとても褒めてくださった(のち『とり・みきのしりとり物語』冒頭に所収)。マンガを褒められるより嬉しかったのを憶えている。

その後はお会いするといつも柔和な笑顔で、年下のこちらへ丁寧な口調でお話しくださっていた。最後に直接お目にかかったのは新宿のマンガ関係のイベントの二次会で、酔っ払った初対面の先輩マンガ家に(おもに政治的な話で)絡まれていたときに、その方と旧知であるらしい村上さんが間に入って救出してくださった。

詳しく明言はされていなかったが、近年のSNSの言葉の端々には終活的な話題が散見され、深刻なご闘病中なのだなという気配は察していた。でも早すぎますね。