鹿野司君のこと
サイエンスライターで長年の友人でもある鹿野司が10月17日に63歳でなくなった。
近年の彼は長い闘病生活中にあり、自分で何度も救急車を呼んで窮地を乗り越えてきたような状態だった。苦しくなって呼ぶのではなく、倒れる前に色んな測定値や症状から「このままでは危ない」と自己判断して呼んでいた由で、ときにはその状況をツイートしていたこともある。もちろん入院が必要なときはちゃんと入院していた。むしろ、いかにも科学ライターらしいそうした冷静な判断があって、ここまで生きながらえることが出来たのだと思う。
彼は自然科学やテクノロジー方面はもちろん、社会学や政治的な判断においても私のもっとも信頼する知識人だった。右にも左にも体制にも反体制にも与せず、是々非々で論理的・科学的に物事を判断、評価、批判した。
SNSには、一見、相対的・俯瞰的・論理的な態度をとっているように見せながら、その実、理不尽な権力に利するような言動に堕している、もしくは堕していることに自分で気づいていない輩が一定数いるが、彼はそうした連中とは一線を画していた。いや対極にあったといってもいい。
その意見表明や教示の仕方は、けして無知を馬鹿にしたり対立を煽るような攻撃的なものではなく、常に冷静で、しかし冷たくなく、やさしかった。現在のSNSや世界を蔽う空気とは正反対のものだ。何事かむずかしい問題が世の中を騒がせているとき「この件を鹿野はどう捉え考えているだろう」と、常に自分の判断の指標になる存在だった。
『オールザットウルトラ科学』にも『サはサイエンスのサ』にも膨大な未収録回がある。科学やテクノロジー対象の記事の宿命で旬を過ぎてしまった話題もあるが、なんとか近年の原稿だけでもまとめて読めるようにならないものか。いや、20世紀に書かれた原稿であっても「この当時に既にこれだけ正鵠を得た記事を書いていたのか」と、あらためて驚くような内容のものが多々あるのだが。
個人的には80年代の10年間(イコールほぼ20代の10年間)、すぐ近所に住まうSF仲間であり、毎日のように一緒に飲み食いし、遊び、ときに旅行に行ったりした悪友でもあった。二人の間に愛人疑惑が囁かれたこともある。日本がまだ裕福だった頃で、テニスもスキーも彼のほうが巧くて教えてもらったが、それだけに晩年だんだん動けなくなっていったのは気の毒だった。彼自身はそれでもポジティヴだったけど。
こちらへはかなり早く一報が届いたが、それは近しい友人に「死んだらとりさんに連絡するように」と常々いっていたからだという。しかし、なにも『プリニウス』最終回執筆直前に死ぬことはないじゃないか。おかげでとんだ大迷惑だ。どうせ死ぬなら全部読み終わって感想を言ってから死んでほしかったよ。