【ARCHIVE】トリイカ#32「8月は死の月」(2013年8月 日経ビジネスオンライン)
子供のころ、8月というのは死のイメージに彩られていた。
6日と9日は原爆投下の日であったし、偶然にも終戦の日(とされている、昭和天皇の玉音放送があった日)が、死者の霊を招き入れる旧盆の8月15日だった、ということが決定的に死を身近に感じさせた。
私は詳しい経緯を知らないが、連合国側ではポツダム宣言調印の9月2日を終戦の日としている国が多い中で、あえてこの日を終戦記念日にしたのは、もしかしたらどこかで旧盆という古来からの死者の日の心理的影響もあったのではないか、とも思えてくる。玉音放送のインパクトは大きかったにしても、だ。
私が育った山間部の田舎町では、お盆というのはやはりかなり重要な行事で、旧家の門口には提灯が飾られ、仏壇の前にはカラフルな回り灯籠が置かれ、夜ともなると一種華やかでさえあった。13日から16日頃まではどの家にも線香の香りが漂っていた。
それは死者と過ごす数日間のニギヤカシでもあった。
盆の間は「地獄の釜のふたが開く」として、川での水泳や水遊びは戒められていた。夏休みには毎週のように町単位の小さなお祭(その町内にある地蔵であったり水天宮であったり)が続き、8月15日の夜はクライマックスともいうべき大きな花火大会が催され、これが毎年楽しみだった。江戸末期に盛んになった花火大会にはちゃんと慰霊の意味もあったことを知るのは、後年のことだ。
私が小学2年のときが、ちょうど「戦後20年」にあたっていた。ひとつの節目として、テレビでも特集番組が多かった、と記憶する。だが、子供が感じる時間感覚は、長い。小2の実感として20年前というのは遠い遠い昔のことのように思えた。
最近の時代に比定してみれば、いまから20年前の出来事としては、福岡ドームとレインボー・ブリッジが完成、Jリーグ開幕とドーハの悲劇、皇太子ご成婚、『高校教師』『ジュラシックパーク』などがあり、十代、二十代の読者の方はともかく、既に半世紀以上を生きた我が身にとっては「ついこの間」という感覚だ。
つまり子供の私とは違って当時の親達にとっては、戦争というのはまだまだ直近の出来事だったろう。
そのころの少年誌においても『0戦はやと』『ゼロ戦レッド』『紫電改のタカ』(私の数年前のATOKでは、嘆かわしくもデフォルトで「紫電改」が変換されなかった)など、戦記マンガがまだ人気を博していた。プラモデルでも零戦と大和は二大人気商品だった。
私はといえば、過去や、現代の学園生活や、スポーツを描いた作品にはあまり興味がなく、マンガやテレビや映画でも、もっぱらSF的要素の強い作品に惹かれ、その空想の中で遊んでいた。
だが、実はそういった作品の中にも戦争の残滓というか、間接的なつながりは見え隠れしていた。
『忍者部隊月光』は原作マンガでは大戦中の特殊部隊の話だったし『鉄人28号』は日本軍の秘密兵器として開発されていた。それは東宝映画版の『海底軍艦』も同じだった。作り手の世代にとって戦争はそう遠い昔の出来事ではなかったのである。
東宝特撮映画つながりでいえば、その「戦後20年」の年には『フランケンシュタイン対地底怪獣』が奇しくも「お盆映画」として公開されていて、その冒頭では広島への原爆投下が描かれている。
すなわち、劇中ではっきり謳ってはいないものの、ドイツからUボートで運ばれたフランケンシュタインの怪物の心臓が、個体へと増殖再生し、さらに巨大化したのは、原爆の放射線の影響……と暗に臭わせるような描き方だ。少なくとも当時子供の私はそう受け取った。
原爆孤児の一人ともいえる少年時代のフランケンシュタインの描写ともあわせ、かなり問題多き内容といえるが、実際、この作品に限らず当時の特撮映画には、今から見れば科学的には失笑ものの幼稚な放射能理解(誤解)の描写が幾つか見られる。それは東宝に限らず、50年代のハリウッド製B級SF映画が既にそうだった。放射能の影響でクモもアリもヒトも容赦なく巨大化していた。
だが、もちろん、そもそも現実にはいるはずのない外国産のモンスターや、怪獣や、荒唐無稽の光線砲なども登場(この映画には登場しないが続編には登場)する類の娯楽映画の話であって、そう厳しく問いただす向きは、当時はなかった。
いや、当時だって放射線科学の専門家や被爆者の方は憂えていただろうし、批判もあったかもしれないが、上映中止になるようなことはなかった。映画の中のリアリティは放射能に限らず、どの映画の何の分野においても、いまほど考証精度が高くはなかった。作品の中でゆゆしき科学的誤謬や差別的視線があると、すぐにTLという俎上で叩かれる現在と比べれば、牧歌的な時代だった、といえよう。
誤解のないように。そのころのほうがよかった、という話ではない。
マット画の広島の街と水槽内に拡がる絵の具で出来たキノコ雲ではあったが、私が原爆を初めて劇中でリアルに体感したのがこの映画だった。一瞬流れる伊福部昭の荘厳なテーマが、想像を絶する事態が起きていることを観客に伝え、思わず居住まいを正したことを覚えている。
しかし、同時に私は様々な誤解も含めて体感してしまったことは否めない。あまりよろしくないことに、劇中の、ちぎれたまま動き回るフランケンシュタインの怪物の不気味な手首とセットで原爆は一種のトラウマになった。
ただ、トラウマといっても「遠ざけたい」とは思わなかった。むしろ逆に興味がわいた。トラウマの克服は、その正体や原因を突き止めることである、と無意識にわかっていたのかもしれない。正直な懺悔とともに記せば、はからずも怪獣映画が窓口となった原爆や戦争への関心は、一時期の少年が抱く「恐いもの見たさ」やグロテスクなものへの興味と、スタート時点ではさほど変わらなかったといっていい。
8月が近づくと、テレビでも戦争ドキュメントが多くなる。
私はそれらを見たがったし、見ていたが、実際に熊本大空襲の惨禍を体験した親は、これを嫌った。先ほどから「トラウマ」と記しているが、当時はもちろん親も私もこんな言葉は使わない。「そんなものを見てると夢に出てくるよ」と叱られていた。
確かに戦争のドキュメンタリーはみな悲惨でつらく、8月の空気を重くしていた。父親はまだ戦況の解説役にまわることもあったが、母親は「気分が悪くなる」といってほとんど見ようとしなかった。
フィクションでも、先に記したようなマンガの戦記物はさすがに児童向けにそういう要素を注意深く薄めにして描かれていたが、ドラマや映画の日本軍を扱った作品はただただ陰湿なものが多く、親同様、私も苦手だった。エンタテインメントに昇華できているハリウッドの戦争映画がうらやましかった。父親は『独立愚連隊』のシリーズは娯楽活劇として高く評価しており、ことあるごとにその面白さを語って聞かせていたが、私にとっては生まれてまもない頃の公開作品であり実際に見たのはだいぶ後のことだった。
67年に、その同じ監督の終戦をテーマにした映画が公開されるというので、二人して見に行った。しかし、これは『独立愚連隊』とは違って史実が下敷きであり、陰惨な場面も含む重たい内容だった。
にもかかわらず、私はその作品『日本のいちばん長い日』の虜になった。描かれているのは冒頭に述べた玉音放送をめぐる叛乱だ。要するに『フランケンシュタイン対地底怪獣』同様、陰惨だが娯楽映画としての面白さ、力があったのだ。見た少年はそういうことをきっかけに原作本にもあたり、また他の資料などで「8月15日」や、関係する人物のことを調べ始めるようになる。
映画のほうは、いっときは毎年のように終戦の日前後に深夜にテレビ放映されていた。ソフト版が出てからは、8月が来ても放映のない年には自主的に見返していた。
話を戻して、妄想ばかりが膨らんでいた原爆被害だが、現実の惨状を数々の遺留品や写真で目の当たりにするのは、中学の修学旅行で長崎の原爆資料館(当時は国際文化会館)を訪れたときのことだ。原爆の惨禍というより、それらを引き起こす戦争そのものがグロテスクなことを遅まきながら知った。それまで抱いていた誤解や自分の無知を申し訳なく思った。
そう思ったのは自分だけではなかったらしく、修学旅行では美しい名所旧跡も数多く巡ったが、多感な時期ゆえ、旅行後の生徒の文集の感想文は原爆一色となった。
これに反応して、自分の親も含めPTAからは「楽しい旅行にそういう場所を組み入れなくても」と問題視する声が上がった。私の印象ではいくばくかの日教組批判と相まっていたと思う(中学生ともなればその辺は冷静に両者を観察しているのだ)。いつの時代もそういう人達はいるのである。私のそのときの担任がまた組合活動に熱心すぎる人で、それにも辟易していたが、といってそういう意見を出してくる親達に対しても「馬鹿じゃないか」と当時思った。
先に述べたように、親世代は実際に戦争の悲惨さを体験してきたがゆえ、逆に「見せたくない」と思う心理も働いていたのだろうとは思う。しかし何事も見なければ知りようがない。
現在、閉架問題で話題になっている作品は、既に自分が高校生になっていた73年の連載開始であり、個人的には洗練された新しいマンガ表現に夢中になっている時期だったので、正直その一時代前の泥臭い作風だけで敬遠してしまうところがあった。
だが、好きか嫌いかでいえば、けっして好きではないその絵柄や表現の異様さが逆に気になってついつい読んでしまうのだ。誤解を恐れずにいえば、内容以前に異形のモノへの興味が先行した形になる。しかし、これもまた一種の確かな作品の力だ。『はだしのゲン』はあの泥臭い表現あってこそのマンガだった。
閉架問題そのものについては、私はあまり語る言葉を持たない。
もちろん、どんな本であれ、読みたいのに現物がないというのは憂うべきことだ。希望者が多い作品であれば普通に図書館に置いてあるのが望ましいだろう。ただ、このコラムでしばしばとりあげる「私は私を会員にするようなクラブには入りたくない」というへそ曲がりのメンタリティからすれば、学校の図書館に率先して置かれるようなマンガは、私はそれだけで最初からあまり読みたくないと思うだろう。逆に「読んじゃダメ」といわれれば以前の何倍も読書意欲は高まる。当然のことだ。
「無垢の子供に誤解や悪影響を招く」といった文言、あるいは逆に「いや子供はちゃんと真実を見抜いている」というような文言を見ると、どちらにも違和感を覚える。中2の私が教師にも親達にも反撥したように。「図書館に置くな」という側も「絶対置け」という側もどちらもマンガを過剰に利用しているように思えてしまう。
これまで述べてきたように、自分の経験からいえば、そもそも子供は誤解や誤読をしながら、あるいは大人から見れば不健全な興味から作品に入ることも多いのだ。そうして年月をかけて学習をし、ここは正しくこここは間違いだった、などと吟味や再確認をしながら、それでもなぜ自分がその作品を好きになったのか、惹かれたのかを突き止めていくのだと思う。
それにしても今年の夏は、地上波で放送される戦争関係のドキュメントがちょっと少なかった印象だ。去年までNHKでやっていた「証言記録 兵士たちの戦争」が今年はあまり流されなくなったせいもあるかもしれない。
お盆の時期くらい、我々はもっと死者の声を聞いてもいいと思う。
生きている人間のくだらないクレームよりも。
※アーカイブ再掲の時点で初出原稿に一部訂正を加えました