小松左京とプラトンとプリニウス◎ギリシア取材①
現在発売中の「新潮」1月号に掲載されている『プリニウス』第54回「クレタ」では、プリニウス一行がかつてのミノア文明の中心地クレタ島に渡っています。
これから一行はグラエキア=現在のギリシアを旅することになるのですが、おりしもグランドジャンプで連載中のヤマザキマリさんの『オリンピア・キュクロス』も古代ギリシアが舞台。というわけで新潮社・集英社双方の画期的相互協力により両作品の合同取材が実現、作者&スタッフチームで今年の5月にクレタ島を含むギリシア各地を巡ってまいりました。
このときの取材の模様は、ツイッターのプリニウスアカウントやinstagramでは随時写真をUPしていましたが、当ブログではとくにまとまったページは作っていませんでしたので、これから物語の進行に合わせ少しずつ紹介できたらと思います(なので実際に回った順とは異なります)。
ミノア文明は古代ギリシアの最盛期に先行して紀元前20世紀から栄えましたが紀元前15世紀半ばに突然終焉します。その要因として紀元前1525年頃に起きたクレタの北に位置するティラ島(サントリーニ島)の爆発的噴火によるティラ島自体の崩壊、及びそれに付随するクレタ島の津波や地震による被害、さらには火山灰による冷害を上げる説があります。
現在では文明終焉時期とやや隔たりがあることから「噴火(と津波)で劇的に滅亡」とは見なされなくなりつつありますが、衰亡のひとつの引き金にはなったかもしれません。
実は僕がこの説を知ったのは、小松左京さん自身がレポーターとして登場する日本テレビの特番「小松左京アトランティス大陸沈没の謎」(77年)と、そのムック本によってでした。
この頃の小松さんは『日本沈没』の大ヒットのおかげでメディアに登場する際はなんでもかんでも「沈没」の冠が付いていましたが、この番組はテレビ局お仕着せの企画ではなく、小松さん自身がこのベストセラーの印税を有意義に使えないかと学者チームを編成し、積極的に番組制作にかかわった旨聞き及んでいます。
その番組とムック本で見て心ときめいた様々な遺跡や出土品を、40年近く経って今回の取材でナマで見ることができたのは、個人的には大きな感慨がありました。さらには回り回って今度はそれらを自分達の創作に生かすことになろうとは……歴史的事実や、それにインスパイアされたフィクション、さらにその目撃者や読者や作者というのはけっして個々に存在するのではなく、長いスパンで相互に影響し連綿と繋がっていくものなのだ、と実感しました。
そういえば知的好奇心から火山に近づいていくプリニウスと『日本沈没』の田所博士は、どことなくキャラがかぶります。ヤマザキさんは僕ほど『沈没』の影響は受けていないので意識的な造型ではないはずですが、それでも似ているのが面白い。そしてプリニウスや田所博士のがむしゃらな知的好奇心は、もちろん小松左京自身の姿とも重なります。そのことを記し留め置きたく、今回プリニウス一行はティラ島には立ち寄らないのですが、数コマ、いにしえの大災害に触れるシーンを作りました。
というようなことを感じ入っていたら、ツイッター経由で小松左京ライブラリのアカウントから以下のメモ画像のご提供がありました。
そしてこれが今年の春にとり・みきとヤマザキマリが現地を訪れ実際に目にしてきた「牛の土偶」と「蛇と女の土偶」です。
さて、番組名にもなっているように、大爆発を起こして文明が崩壊したサントリーニ島は、海に沈んだアトランティス大陸のモデルになったのではないかといわれています。典型的なカルデラ火山の島の形状も、二重円だったとするアトランティスの描写と合致しています。
そして今週のグランドジャンプ掲載の『オリンピア・キュクロス』には、まさにそのアトランティス伝説を文献に記したプラトンが登場し、運動を経済再生や利権に利用しようとする勢力に真っ向から異を唱えています。これまでのプラトンのイメージを裏切るようなキャラ造型がさすがにヤマザキさんらしい。希代の哲学者プラトンは、実はアテナイでも有数のレスラーでありました。
かように両作品は時を超え、ゆるやかにリンクしているのです。もちろん現代の日本にも。