描き分け
※今回のブログはやや自己正当化的側面が強いのでバイアスをかけてお読みください。
自分はつい無節操、かつ不作法に色んなジャンルや作風に手を出してしまいがちで、そのせいでタイトル数は多くてもあんまし代表作と呼べる物が無いのだが、なんでそうなったのかを時間を遡って考えてみると、出発点は椛島勝一だったという気がする。
おいおい、いったいあんた幾つだ、という話だが、父親が戦前の少年倶楽部の愛読者だったので、戦後に雑誌や掲載作品の復刻版が出ると速攻で買ってきて、僕はリアルタイムのマンガと並行してそれらを読みあさった。
その中でもっとも目と心を奪われたのが椛島勝一の細密なペン画だった。
さらに輪をかけて驚いたのが、同じ人物が、今の少年マンガの出発点ともいえる『正チャンの冒険』の作者でもあったことだ(※「正チャン」のほうは当時多くは読めなかったが絵柄だけ見てまず驚いた。そして父親はよく正チャンの絵を自分で描いて見せてくれていた)。
※画像出典は長崎美術館のサイトより
現在マンガは細分化・専門化し、一人で色んな作風、さらには画風を持つことは編集者からも読者からもあんまり喜ばれない(僕が感じてきたやや被害妄想かもしれない印象だとそうなのです)。マンガを離れても「何でも屋」よりは「この道一筋」的なエキスパートのほうが褒めそやされる傾向があると思う。
しかし、僕自身がいちばんショックを受け素晴らしいと思ったイラストやマンガの原点が、この椛島の「描き分け」にあったため、以降、子供時代も思春期もそういう両刀使いのタイプの作家やマンガ家のほうに肩入れして読んできたような気がする。手塚・石森・永井・山上しかり、小松・筒井・北杜夫しかり。その振れ幅がギャグからシリアスまで大きい人ほど魅力的に映った。現在の相方のヤマザキマリさんもそういう何でもタイプの作家だ(マンガだけではなく他分野まで)。
イラストレーターでいえば、アンクルトリスから図鑑の細密船舶イラストまでこなした柳原良平、煙草のハイライトのデザインから様々な画法の似顔絵、さらには文章や作曲や映画監督までやってしまった和田誠。そしてミュージシャンではもちろん大瀧詠一がその代表格だ。
さらにそれはアニメで素っ頓狂なキャラクターの声を担当している同じ声優さんが、外画ではハリウッドスターのシリアスな演技を日本語で表現している......という吹替への興味にも繋がっていくのだった。
とまあそういうわけで『プリニウス』と『遠くへいきたい』をいまも描いております。