閉会式

2022年02月20日

閉会式で「旅愁」が流れておやと思った。

作曲者オードウェイはアメリカ人だが、本邦では「ふけゆく秋の夜 旅の空の」という犬童球渓の歌詞で知られている。球渓は人吉の出身(球渓は球磨川の流れから採ったペンネーム)なので田舎の城趾公園には歌碑があり、歌自体にも、たぶん他府県の人よりも子供の頃から親しんできた。

調べてみると中国でも中国語の歌詞がつけられ自国曲のように広く歌われているという。オードウェイはフォスターなどと同時期の作曲家だが、アメリカではもはやそうポピュラーではないらしく、選曲にいちばん反応したのは中国以外では日本、とくに人吉球磨地方の人達だったかもしれない。

人吉城趾と球磨川(水害前)
人吉城趾と球磨川(水害前)

さらに音楽と熊本と五輪つながりの話。

あるきっかけで水前寺清子(熊本出身)の「どうどうどっこの唄」の歌詞をあらためて調べていて、これ五輪の閉会式で流せばいいのにと思った。歌詞は歌詞掲載サイトで各自ご参照ください。(作詞:星野哲郎)

水前寺清子には「どうどうどっこの唄」の前に「いっぽんどっこの唄」という大ヒット曲があり、どちらも耳になじんでいるが、「どうどう」や「いっぽん」はともかく「どっこ」という言葉の意味が当時はよくわからなかった。当時どころか、寡聞にして今に至るもチータの曲でしか聞かない。調べてみると「どっこ」は「独鈷」で、密教で煩悩を払う法具のこととある。

密教の独鈷(「とっこ」と呼ぶほうが多い)ならば知っている。インド神話でインドラの持つ雷電バジュラがルーツで、雷神ユピテルの持つ電撃棒とも共通していて、そういう比較をパルミュラの行商人が語り合うシーンを『プリニウス』10巻68話で我々は描いている。

しかし、それにしても当時もそれほどポピュラーとも思えないこの法具の名前がなぜフィーチャーされたのか。

さらに調べていくと、この独鈷の形の模様を一本の線状にあしらった博多帯の名前が「いっぽんどっこ」なのだそうで、もとの法具は知らなくても、着物に詳しい人にはこの帯名はおなじみだったかもしれない。転じて「一人前」だとか、あるいは任侠道でどこにも属さないスタンドアローンの意味とする説もあり、音的にも「独」「個」「どっこい」ともつながるので、着流しのチータが歌うには確かに意味も語感もピッタリではあったろう。

で、てっきりその「いっぽんどっこの唄」がヒットしたから「どっこ」シリーズ になったのかと思いきや、なんと「いっぽん」の前年に「ゆさぶりどっこの唄」を出していてこれが最初だという。つまり帯名や符牒の前に「どっこ」ありきだったわけで、またちょっとわからなくなってきた。ちなみに最後が69年の「人間どっこの唄」で、なんだか人間ドックみたいである。

作詞はすべて星野哲郎。彼はなぜそんなに「どっこ」にこだわったのか、知りたい。