飯田橋

2021年09月09日

神楽坂から神保町まで歩く途中に、ちょっと懐かしくなって通称がきデカビルの前を通る。

連載をもらったのは早かったが『るんるんカンパニー』の頃までは描き上げたらそのまま徹夜明けで自分で飯田橋まで出向いていって原稿を渡さなければいけなかった。担当さんは一応いたけど手塚番兼任で週5〜6日は手塚プロに泊まり込みで原稿待ちしていたので。

白いタイルは当時は大理石貼り(儲かったのですね)だったが、2000年頃に耐震問題が起きたとかで貼り替えたのだという。組合が強かったのか自分で運んでいた頃はよくストをやっていて、ガラスはアジビラだらけ、せっかく飯田橋まで来たのに「いま会社でうちあわせできないから」といわれたことも度々あった。

チャンピオンのやめ方が自分の若気の至りもあってスマートではなかったので、四半世紀くらい出禁(とこちらは受けとっていた)だったが、その後アニバーサリー企画の原稿依頼があり、読み切りマンガを本誌に載せてもらった。編集部員もすっかり新世代になったということだろう。そこからももう干支が一回りしてしまったが。